ここ数年のコロナ騒動をきっかけに真実について発信する人が多くなりました。SNSやブログ、動画サイトなどで日々発信を続けている発信者も多数います。
ある発信者を追いかけていた人が、「この人はおかしい」と言って、突然その人の元を離れる、という現象をよく見てきました。
それまでずっとコメントなどをしていたのに、急に批判をするようになって、離れていくのです。もちろん誰を支持しようが離れようが自由ですが、やや違和感を持つ行動にも思えます。
今回は「この人はおかしい」と離れていく人の心理を考えつつ、様々な発信者がいて良いという寛容さについて書いてみたいと思います。
「この人はおかしい」と離れていく人の心理

実際に見かけたことのある事例をもとに、1つのストーリーを書いてみました。
ある人(Aさんとしましょう)がずっとある発信者の投稿を追いかけていました。それが、ある日突然Aさんは「この人はおかしい」といくつか理由を述べて発信者から離れていきました。
それまでどの投稿もいいねしたり、共有していたりしていたのが、手のひらを返したように、有る事無い事、発信者の批判を書き散らし始めたのです。
そしてその日を境に、Aさんは一切発信者の投稿にリアクションをすることは無くなったのです。
こうした事例は珍しいことではなく、よく見かける光景です。しかしなぜこのような手のひら返しが起きてしまうのでしょうか。
私は大きく分けて、以下の2つの心理が背後にあると考えます。
- 正しさが判断の基準
- 1人の発信者への絶対的な期待と依存
まず1つ目に、Aさんの中で「正しさが判断の基準」だったのではないか、と考えます。
Aさんは“正しい“情報を求めて発信者のもとに訪れ、発信者の情報がとても正しかったので絶賛していました。しかし何かをきっかけに、発信者の正しさが揺らぐ出来事があったのでしょう。
正しさの反対は、偽り・嘘であり、これは二項対立的な捉え方によるものです。反証が出てきてしまうと、途端に発信者を信用できなくなってしまうのです。
しかし人は常に正しさだけで生きているわけではありません。その時の感情などで、揺れることがあるのが人間です。
Aさんの中には、本当は何か別の違和感があったのかもしれません。しかしその違和感を、正しいかどうかの問題に置き換えてしまったのです。
その発信者と波長が合わなくなったなど、真偽の軸では語れない違和感だったのかもしれません。その場合は、批判などすることなく、そっと離れるだけで良いはずなのです。
2点目には「1人の発信者への絶対的な期待と依存」があったのかもしれません。正しさが基準であることと関連しますが、情報の判断をその発信者に頼りすぎていたのです。
現在、本当に情報が錯綜しており、何が事実なのか分からなくなっています。だからこそ、情報をつなぎ合わせて解釈を行う発信者のもとに人が集まっています。
情報の解釈は人の数だけ存在するものなので、様々な発信者の解釈を見比べれば、実に多様な解釈があります。
しかし特定の発信者の解釈を丸ごと鵜呑みにするような態度をとっていると、今回の事例のようにいつか破綻を迎えます。
なぜなら自分自身に軸がないからです。判断の軸をその発信者に委ねてしまっていたので、発信者の軸に不信感が出て来た途端、全てが疑わしくなってしまったのです。
どこまで行っても、他人の解釈は参考であり、自分の捉え方こそが自分を納得させるものです。
これら2点の心理が影響し、「この人はおかしい」と判断するに至ってしまったのではないでしょうか。
異なるタイプの発信者に対して”寛容”な態度を

このように情報を受け取っている人たちが、発信者を一方的に切り捨てる現象はあちこちで見受けられます。それに加え、発信者同士も異なる論調に対して批判し合ったりと、ギスギスした場面を見ます。
先ほど述べた通り、情報の解釈は人の数だけあります。そしてこれほど情報が溢れている状況であれば、様々な発信があっても良いように思います。
世界が本当は今どんな状態で、どうなっていくのかなど、誰も分からないと思います。だとしたら今できるのは、下手に気持ちを下げないこと、おかしいと思うことは発信すること、良い方向に進んでいることに喜ぶことではないでしょうか。
— よっしー(ありすママファミリー) (@ych369) March 1, 2024
そして発信者にはそれぞれ役割があると考えます。たとえば、誰もが義憤に駆られて社会に対して怒る役割の人ばかりではありません。
「世の中がおかしい」と声をあげないから「この人は怪しい」と言うのはナンセンス極まりないことでしょう。
人を勇気づける役割の人もいれば、感情を込めずに冷静な分析が得意な人もいますし、発信者にも様々な役割があります。
発信者の中にも色んなタイプがいて、皆が不正に対して戦うモードの人ではないでしょう。人を元気づける役割の人もいるし、分析する役割の人もいます。それを自分と合わないからと「この人はおかしい」とすぐに決めつけるのではなく、役割の違いだと認め合うのが寛容さだと感じています。
— よっしー(ありすママファミリー) (@ych369) March 1, 2024
それぞれの役割で今の世界を見ており、今より世界が良くなれば、と思って発信している思いは共通しているでしょう。
そして情報を受け取る側は、色んな人の良いところをミックスさせて、世界を見ていけば良いことなのです。その主人公はあなた自身であり、発信者がおかしいなどと言うことは関係ないはずです。
色んな解釈があって当然、そして自分が納得できる解釈は自分でする、という自分軸でこそ、寛容な態度を取ることができるのではないでしょうか。
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