最近興味を持っていることとして、”真実”とは何なのか、そして情報をどのように捉えれば良いのか、というテーマがあります。
私自身、表に出ている情報には疑いの目を持ちつつ、一方で巷に溢れる”陰謀論”にのめり込む姿勢にも疑問を持っています。
しかしいわゆる陰謀論叩きは、挙げ足を取り、分かりやすい嘘情報を馬鹿にするような趣旨のものが多く、あまりに感情的かつ誤解が多いのが実情です。
「陰謀論に騙されない」ことを目的とした批判ではなく、「陰謀論との付き合い方」を述べた記事があってもいいのではないか、と思うのです。
情報は真か偽かの2択ではなく、本来グラデーションのあるものです。2者択一を迫るのではなく、グレーな情報と上手く付き合うことこそ、必要なことではないでしょうか。
そこで改めて陰謀論との付き合い方について考えるシリーズを2回に分けてお送りします。第1回の今回は、コロナ騒動から陰謀論という言葉の流行、そして陰謀論批判の誤解について書いていきます。
コロナ騒動がもたらした”陰謀論”という言葉の流行
そもそも”陰謀論”という言葉がここまで表立ってきたのは、コロナ騒動がきっかけだったと思います。
冒頭述べたように、コロナ騒動によって、私たちはあまりに曖昧な情報に晒される状況になりました。
「ソーシャルディスタンス」と言われながら、満員電車は変わらない。ワクチンを2回接種すれば元の生活に戻る、と言われたのに4回目接種だと言われている。
あまりに不思議な出来事が多く、「なぜこんなことが起きているのか?」とコロナの裏側への興味を誘ったことは間違いないでしょう。
こうした不可解なコロナ騒動により、「本当に正しい情報」がもてはやされるようになりました。もっと正確に言えば、「本当に正しいことを伝える人・機関」に人が集まるようになったのです。
そんな中、SNS上では「PCR検査の真実」や「コロナは人為的に作られた」などの情報が溢れるようになりました。コロナ騒動に違和感を覚えた医師や専門家の動画を見た人も多かったことでしょう。
こうした情報が流れると、主要メディアや公的機関は「陰謀論に騙されないで」と注意喚起を呼びかけるようになりました。
そもそも陰謀論とは、そもそも何らかの出来事の背景に、邪悪な組織が関与しているという仮説を唱えることだとされています。
「コロナは人為的に作られたウイルス」「ワクチンは人口削減計画の一環」など、コロナが意図的に騒動として起こされたものという強烈な主張が、コロナ当初から出始めました。
こうした主張が拡散したことから、「ファクトチェック」が盛んに行われ、どんな情報も白黒はっきりささせようとする”ファクト信奉”とも呼べる風潮が生まれ、さらに”陰謀論”叩きを加速させました。
コロナに関しては、その後に厚労省の公的データなどを示して大手メディアと異なる見解を示す発信者も多数現れました。
しかし当初の荒唐無稽でセンセーショナルな主張の印象が先行し、何を言っても陰謀論者と叩く層がSNS上には溢れ返ってしまいました。
もはやこちらは陰謀論だとは思っていなくても、グレーな情報は全て陰謀論とラベル付けされてしまうような状況にもなっています。
このような”陰謀論叩き”の風潮は、気に入らない意見を叩く便利な理由になっているだけではないでしょうか。
これでは陰謀論の何が問題で、グレーな情報とどのように付き合えば良いのか、といった本質的な議論を遠ざけてしまっているように思われます。
陰謀論とラベル付けすると、それ以上の思考停止状態に陥ってしまうため、真実を隠したい側も上手く隠れ蓑として利用してしまう点も問題です。
”陰謀論”叩きをする人たちの気に入らないこと・誤解
日々SNSを見ていると、陰謀論だと発信者を叩く場面を数限りなく見かけます。しかし彼らの言い分を見ていると、陰謀論そのものに対する批判という訳ではないように見えます。
ここでは陰謀論を叩く人たちのよく見かける言い分とその誤解について書いておこうと思います。
陰謀論者は人を騙そうとする
よく見かけるワードに「陰謀論に騙されないで」というものがあります。そして彼らが陰謀論者と呼んでいる人は、人を騙そうとしている、という考えを持っているようです。
しかし誰もが悪意を持って情報を伝えているのではありません。一部には詐欺師のような人も混じっていますが、心の底から真実を伝えようと言う思いの人もたくさんいます。
「詳しくないなら間違った情報を流すな」という意見の人もいるでしょう。しかしそれも悪意がないなら、「それは間違っているよ」と伝えれば良いだけのはずです。
素直にそう言えないのは、白黒はっきりしない情報に晒される状況への不安が背後にあるような気がします。
また中には、今までは陰謀論に関心のあった人が、「やっぱり嘘じゃないか」と騙されたと感じるような被害者意識を持つ人もいるようです。
陰謀論の問題点は、発信者に騙す悪意があるかどうか、よりも不安にさせられる情報であることに原因がありそうです。
グレーな情報を全て陰謀論扱いする
1つ目に関連することですが、グレーな情報を全て陰謀論扱いしている人をよく見かけます。
情報には真か偽かと言う2択ではなく、グラデーションがあるはずです。本当に見える嘘、証拠はないが限りなく真実、といった情報もこの世界には存在します。
しかし「エビデンス」「ファクト」と何かのお墨付きを得た情報だけが真であると捉える傾向が、曖昧な情報を許さなくなってきています。
曖昧な情報を排してしまうと、視野は狭まり、画一的な意見に引っ張られてますます思考停止が進むように思われます。曖昧な情報を受け取る余裕や寛容さが失われている状況なのです。
陰謀論を含む曖昧な情報に対しては、受け取る側の心構えの問題も大いにあるのではないかと思います。
”嫌い”なことに理由づけしようとする
そして結局のところ、陰謀論叩きをする人は、グレーな情報を発している人たちが「嫌い」なのだと思っています。
価値観や生き方を含め、全く異なるタイプであり、理由などなく嫌いなだけです。
ですので、ただ一言「嫌い」と言ってくれれば良いのですが、嫌いであることにいくつも理由を述べてきます。
彼らにとっての”正義感”だったり、科学的な根拠だったりしますが、根底に「嫌い」という感情があるからトゲのある言葉で叩こうとするのでしょう。
こうしてみると、陰謀論と呼ばれる言説には、感情が渦巻いていることがわかります。情報の話をしているはずが、実は感情の話の方が重要になってきそうです。
まとめ – ”陰謀論”の性質+不安の連鎖が生み出した概念
今回は陰謀論の付き合い方として、コロナ騒動から陰謀論が流行してきた流れ、そして陰謀論叩きのおかしな点について書いてみました。
ここで書きたかったのは、陰謀論とはどんな性質のものか、ということでした。
一般的な定義としては、社会的な出来事の背後に邪悪な組織の力が働いている、とする言説のことです。
しかし”陰謀論”という言葉自体が、それを批判する人たちによって便利に使われている言葉でもあります。グレーでよく分からない情報は、全て陰謀論とラベル付けして片付けられてしまうのです。
この問題点として、まず陰謀論とラベル付けした時点で思考停止に陥ること。そしてそれが真実を隠したい側の隠れ蓑として利用されてしまう、ということが挙げられます。
このように陰謀論という言葉は、それを批判する側が勝手に言っているものであり、また真実を隠したい側にとって都合のよい隠れ蓑として利用されている点は意識すべきだと思います。
そして陰謀論を巡って起こる感情もまた問題だと言えます。
情報はそれが人に伝わり、受け取った人が何を感じるのか、という情報の伝達にまつわる感情もまた問題になります。
陰謀論を巡る感情とは「不安」ではないでしょうか。陰謀論は発せられた時に人々に不安を与えるものである点に問題があります。
以前の筆者の記事では、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」に登場するディオの発言で「人間は安心を得るために生きている」という言葉を取り上げました。
安心を得るために情報を集めているのに、グレーな情報ばかりに晒されると、白黒つけて安心を得ようとしてしまいます。
そして白黒つけられないグレーな情報を陰謀論としてしまうのです。陰謀論は不安が連鎖して生み出された概念と言っても良いのかもしれません。
このように見ていくと、陰謀論とは◯◯のような情報のこと、という定義をするのは本来は正しくないように思われます。
グレーで安心できない情報を受け取った側が、それを叩くことで安心を得るためにつけられたラベルが陰謀論だ、とする方が妥当に思われます。
こうした陰謀論という言葉の意味合いを十分理解しておくことが重要でしょう。
次回は陰謀論の問題点について、仏教の観点から考えてみたいと思います。
※”陰謀論に騙されない”のではなく”グレーな情報と上手に付き合う”ために② – 仏教から考えるグレーな情報との付き合い方
※陰謀論にハマる人・バカにする人に共通する心理とは? – 真実を語る人・陰謀論を語る人の見分け方
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