私たちは誰かと一緒に行動する時、お互いが相手のことを考えながら行動しています。相手の顔が見える関係であれば、お互いで話し合いながら、物事を決めることができます。
それが職場、さらには国家と大きな集団になれば、毎回話し合って決めることは難しく、その統率は大変になっていきます。
集団の調和を作る上で、どこにでも「ルール」が存在します。ルールは集団の調和を守る上で一定の役割を果たしますが、ルールの存在が大きくなりすぎると、人々はおかしくなることがあります。
その最たる例が、コロナ騒動、とりわけマスクを巡るルールの問題でした。マスク着用のお願いを強制かのように捉え、「マスク警察」なる人たちが勝手に取り締まる事態にまで発展しました。
しかし私たちはルールを守るために生きている訳ではありません。ルールと言う幻想は私たちを内面から支配するので、調和とルールの関係を理解していないと混乱が生まれます。
今回は調和とルールについて、どんな関係でどんな違いがあるのか、そしてルールとの上手な付き合い方について考えてみました。
調和とルールに従うことの関係・違いとは?
そもそも調和とルールの関係はどのようなものでしょうか。
まず、私たちが目指したいゴールが「調和」です。調和とは、お互いを尊重しつつ、お互いが納得できる形のバランスを見つけること、だと考えます。
人が2人以上いれば、どうしてもそれぞれの考えや要求があります。お互いがぶつからないようにするには、お互いを知り、気持ちを理解した上で、折り合えるバランスを見つけるのが調和です。
しかし調和を見出すのは簡単なことではありません。特に言葉を使わなければ理解しあえない3次元の世界では、お互いの気持ちが通うために十分に語り合い、時間をかける必要があります。
高次元ではそれがテレパシーなど言語を使わずに、魂ですり合わせができれば、もっと簡単なことなのかもしれません。感覚の近い人とは、”以心伝心”と言って、容易く調和が生まれます。
ただ誰しも以心伝心とはいかないので、調和のプロセスを簡易に行うためにルールを設けることになります。ルールは誰かの決めた調和のための方針、と言うことができるでしょう。
あくまでルールは調和のプロセスを補完するためのもので、ルールを決めたとしても、最終的な調和には話し合いや、場合によってはルールの変更をするというプロセスが必要になります。
これを面倒だと思い、ルールだけですべての状況に当てはめようとするのが、「ルールに従う」と言う状態です。しかしルールは調和の補完のためのもので、万能ではありません。
ルールがあったとしても、様々な解釈は存在し、その解釈をめぐってお互いの折り合いをつけることで、ようやく調和が保たれるのです。
そう考えると、調和を保つためにはお互いの主体性が重要(=自分軸)になりますが、ルールに従うだけでは主体性はなく、ルールがすべての判断の軸(=他人軸)になってしまいます。
最後に、調和・ルールに従うこと、の2つがどういうことか、以下のようにまとめました。
- 調和:お互いを尊重しつつ、お互いが納得できる形に調整する主体的な行為
- ルールに従う:誰かの決めたルールに何も考えずに従う受動的な行為
ルールは暴走する – マスクのお願いは強制?
ルールはあくまで主体的に調和を作るための補完的なもの、と述べました。そのためルールは完全なものではなく、その場に応じた解釈が必要になります。
しかし日常生活では頭をひねって解釈を考える余裕はありません。そのためふんわりとした言葉で書かれたルールは、解釈の思い込みが原因で喧嘩になってしまうことがあります。
それは行政が出す文書によく見られます。たとえば最近で分かりやすい例はマスクの着用に関するお願いでした。厚労省からの文書では、5類移行の前には「マスク着用のお願い」と書かれました。
しかしなぜかこれを読んで「義務」や「強制」だと思い込んでいる人たちがいました。日本語的には「お願い」は要望や依頼なので、強制されるものでも、義務として課されるものでもないはずです。
「だって皆つけているだろう!」と怒り始める人がいますが、それこそルールだけに縛られた思考であり、お願いされてもつけない、という選択肢があり得ることに目が向けられなくなります。
逆に「お控えください」という文言も解釈が難しい言葉です。厳密には、自らの意思で控えて欲しい、と言う意味ですので「禁止」とはイコールではありません。
「禁止されなければ認められている」と言う価値観もあり得るのに、「禁止」だと思っている人たちは逆鱗に触れたように怒り始める、ということもあります。
このようにルールの字面を何となくなぞっているだけだと、ルールはだいたい厳しい方向に判断しがちである点に注意が必要です。これはルールの暴走とも言える現象でしょう。
なぜルールは厳しい方向に解釈しがちなのでしょうか。まずは先ほども述べた通り、ルールに従うだけの人には、ルールで決められる内容に対して主体性を持って調和を目指していません。
そのためルールに当てはまるか・当てはまらないか、と言う二項対立の世界になってしまいます。二項対立の世界は、反対する一方を厳しく排する力が働きやすいのです。
ルールに従う人は、自分自身の判断に対して自信がなく、常に背後に不安があります。「これで良いのかわからない」から、ルールに従っていること=安心の材料になります。
このようにルールに依存してしまうと、ルールで決められた安心の世界を壊すもの=敵として認識するようになってしまいます。
ルールは本来、実体のない幻想です。誰かが作り出したものであるがゆえ、絶対的に正しい着地点などないはずなのです。しかしルールに従う人は、ルールを絶対的なものと捉えてしまうのです。
そしてルールに従っている者同士が結び付き、「同調圧力」を生み出し、違反者を排除しようというムードが出来上がります。これがまさにコロナ騒動におけるマスクを巡る問題でした。
よく「コロナ脳は思考停止」というやや厳しい言葉が飛び交いましたが、ルールに従い、それ以上ルールについて考えない人たちは、まさに主体性を失った他人軸の人たちでした。
このように自分軸を持っていないと、ルールばかりが暴走を始め、人の側が手を付けられなくなるのです。
ルールとの上手な付き合い方 – ルールよりまず自分が先にある
調和を目指すために作られたと思われているルールですが、あくまでも3次元世界で調和を目指すための幻想=おとぎ話に過ぎません。
本来はルールなどなくても、”以心伝心”で何でもお互いが通じ合い、それが集合意識となる世界こそ高次元の世界です。
しかし残念ながら3次元世界ではルールが、調和を補完する一定の役割があります。最後にルールと上手に付き合うために意識しておきたいことを書きました。
ルールより先に自分があることを忘れずに
調和の指針となるものとしてルールが存在する、と繰り返し書きました。大事なことは、自分自身がまずあり、相手とどう調和するのか、というところが本質的な問題です。
本来の調和は、どこか1点のバランスに着地するものの、その着地の仕方は人の数だけあると言っても良いでしょう。それをまとめてこの辺りに着地させる、というのがルールです。
ルールはあくまでその程度のものであり、ルールは解釈する私たちが存在しなければ意味を持たない幻想に過ぎません。
幻想は簡単に書き換えが可能であり、ルールも現状にそぐわなければ変更することができます。双方で話し合える場合、おかしなルールは積極的に変えていきましょう。
自分軸と言う言葉をよく使いますが、調和を目指すときにこそ自分軸は重要です。まずは自分がどう思っているのか、があってこそ、相手とのすり合わせができるのです。
ルールは意図を持って作られる
ルールは幻想であるがゆえに、支配のためにも用いられてきました。おかしなルールであっても、何となく従わせてしまう仕掛けを作って存在するものもあります。
先ほど述べたように、コロナ騒動ではまさに”感染対策”と言う幻想をいかに行うか、というために不思議なルールがたくさん作られました。
「密集を避ける」「県をまたぐ移動は避ける」などバカバカしいルールでも、コロナが怖いと思い込ませれば、従う人ばかりになってしまうのです。
そしてルールは必ず何らかの意図や背景があって作られています。それは行政の作る、解読の難しいルールの言い回しにも表れています。
「マスクのお願い」についても、「お願い」と言う言葉には「強制」にはできないことが分かっているから「お願い」にしている、と言う明確な意図や心理があります。
何を、どの程度して欲しい・して欲しくない、などの意図がルールの文面には必ず存在します。ある程度の幅を持つものがルールなので、その範疇がどの辺りなのか、を知ることもできます。
読解力を働かせることで、ルールの範疇がどの程度なのか知ると、その範囲の中であれば自由がある、という解釈をするのが良いでしょう。
「このルールの中でしか動けない」とルールの中に自分を閉じ込めるか、「ここに書かれていないことはやっても良い」と、いかに外に脱出しようとするか、で見え方は大きく変わります。
そもそもルールの中に私たちを閉じ込め、ルールにはまらない人たちと分断を作る目的で作られるルールすらあるように思います。
私たちはルールの中にいる訳ではなく、それは幻想に過ぎません。基本的に自由な存在の私たちですので、いかにルールを俯瞰し、本来の目的である調和を目指すか、を考えるのが良いでしょう。
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