私たちは誰かとの関係の中で生きています。そして、人間関係にはストレスを感じさせる、苦しみの原因となってしまうものもあります。
人間関係の苦しさの原因は何なのでしょうか?人間関係の問題の多くは、今回紹介する1つのパターンに集約されます。
それが「支配・被支配関係」と呼ばれるものです。
今回は苦しみの源となる「支配・被支配の関係」について紹介し、そこから脱する方法を考えてみたいと思います。
苦しい人間関係には、「支配・被支配の関係」がある!
支配・被支配の関係とは?
「支配・被支配の関係」は、強い者が弱い者をパワーで支配し、従わせる関係を言います。この関係は、上下関係がある場合に、生じやすいものです。
分かりやすい例では、上司から部下へのパワハラが挙げられます。他にも夫婦や恋人の間で生じるドメスティック・バイオレンス(DV)が典型的です。
このような関係が生じてしまう背景には、「境界線(バウンダリー)」の曖昧さがあります。
境界線(バウンダリー)とは、人と人の間の心理的な境目のことを指します。最も原始的な境目は、「私とあなたは違う人である」ことです。
境界線(バウンダリー)が曖昧な人は、相手が自分の思う通りにならないと怒り始め、パワーを持って相手を従わせてしまうのです。
より身近な例
しかしパワハラのように、大きな問題とならない場合にも、支配・被支配の関係は見られます。もう少し日常的にも生じやすい、ある職場での例を見てみましょう。
課長のAさんは、人当たりは悪くはないのですが、感情の起伏が激しいのが特徴です。Aさんは、ちょっとした問題でも、感情的に・大げさに話してしまう癖があります。
Aさんは部長のBさんに、軽い口調で「あの報告書まだもらってないよ」と言われました。AさんはBさんに言われたことで焦ってしまい、外出中の部下のCさんにまくしたてるように電話しました。
「あの報告書まだ出てないって、部長にめちゃくちゃ怒られたんだけど。あれどこにあるの?俺わからないんだけど、困ったなー。今どこ?戻ってきて報告書を探してよ。いや、急ぎだから!」
Cさんはいきなり何のことなのかもわからず、その勢いに気おされて慌てて職場に戻ってきました。
しかし職場に戻ってみると、課長は誰かに話して気持ちが落ち着いたのか、
「あ、すまんね。さっきの件、今週中でいいから報告書探しておいてね。」
と、全く急ぎではない案件だったことがわかりました。Cさんは振り回され、ドッと疲れを感じました。
なんでいつもこんな目にあっているんだろう…。
こんなやり取りが日常的に行われていたら、どうでしょうか?
CさんはAさんが怒りだしたり、不安になったりするのを恐れ、Cさんに言われたままに動くようになってしまっています。
このように上司の感情に振り回され、自分で判断して行動しなくなってしまうと言うのも、一種の支配・被支配の関係と言えます。
さらに、もし部下のCさんは上司であるAさんに振り回されることが多い一方で、自分がお世話をしなければ、と思うようになる場合もあります。
これも一種の支配的な関係です。「共依存の関係」と呼ばれ、自分の判断ではなく周囲の期待に応えることに必死で、そのような関係に依存してしまうようになります。
親子関係や恋人関係など、親密な関係において「共依存の関係」は生じやすいですね。
さらに、営業の場面などでも支配・被支配の関係は生じていることがあるように思います。
ネットワークビジネスなどでは、よく「マウントを取る」ことで、商品を買わざるを得ない状況を作ろうとする人がいます。マウントを取る、とは人より優位に立とうとする行動のことです。
マウントを取られる人もまた、自分がどうしたいかという判断軸がないために、相手の要求に答えようと考えてしまう癖があり、取られる人にも原因があります。
このようにあらゆる場面で、「支配・被支配の関係」が生じる可能性があります。相手に自分の要求を飲ませようとする人と、自分の判断で動けない人の組み合わせによって生じることがわかります。
支配・被支配の関係における苦しみや、生じる原因とは?
ここでは支配・被支配の関係によって、どのような苦しみが生まれるのか、について述べていきます。併せて、なぜこのような関係が生まれてしまうのか、についても紹介します。
支配されてしまう人の苦しみ:自己肯定感・主体性の低下
支配・被支配の関係では、当然支配される側は大きな苦痛を感じています。
常に支配してくる上司などの顔色を伺い、怒られないか不安な気持ちで過ごさなければなりません。日ごろからストレスがかかった状態で過ごすことは、心身にネガティブな影響を及ぼします。
また誰かが顔色を伺い続けていると、主体性が奪われていきます。自分から何かしようという考えが浮かばなくなり、達成感や自己肯定感の低下にもつながるでしょう。
支配される人は、自分の判断軸を持たない人が多いのが特徴です。自分で自分の人生を選択する意識が希薄な場合には、誰かに判断を委ねてしまう方が楽だと感じます。
その結果、どんな関係の中でもマウントを取られてしまうことになり、いつも思うようにならないような感覚で生きることになってしまいます。
”自分らしく生きる”というのがどんな感覚なのかわからないのが、支配される人の感覚です。
支配してしまう人の苦しみ:自分も支配されている
支配している側の人は、支配される側より優位にある分、苦しみは少ないように思うかもしれません。しかし、実際には支配する側も苦しい人生を送っていると言えます。
まずは境界線(バウンダリー)の曖昧さによって、対人関係の問題を常に抱えてしまうリスクがあります。常に爆弾を抱えながら生きているようなもので、爆発を恐れながら生きていると言えるでしょう。
また支配できない相手には、支配されてしまう側に容易に回る点も特徴です。より大きな権力を持つ人には、ひどく媚びへつらうような態度を取ってしまいます。
立ち回りがうまいように見えて、その人の主観としては、「なんで自分ばかりこんな目に遭うんだ」とストレスを抱えることになります。
その結果、無意識のうちに誰かを支配することでそのストレスを解消するというように、支配・被支配の関係から抜け出せないことが最大の苦しみと言えるでしょう。
関係が生まれる原因:支配する人・される人の傾向は似ている
なぜこのような関係が生まれるのか、実は支配する側・される側の原因は似ています。
これまで述べたように、それぞれの立場の人の特徴は以下の通りです。
- 支配される人:自分の判断軸を持たない
- 支配する人:境界線(バウンダリー)が曖昧である
両者の特徴はありつつ、共通する部分は何でしょうか?それは、ともに自律できていないということです。
ここで言う”自律”とは、独り立ちしている状態の”自立”とは意味合いが異なります。自律とは、自分と他者との距離感を適切に保ち、困った時に適切に他者を頼ることができることを言います。
ここで参考になるのが、愛着(アタッチメント)理論です。子どもと養育者の情緒的な関係を説明する理論ですが、人一般に広げて考えることが可能です。
愛着理論は、危機的な状態に陥った時に、他者に助けを求めて感情を立て直す機能について説明しています。
愛着関係が適切な人は、何もない時は一人で判断して行動でき、困った時には上手に他者を頼ることができます。ここで言う自律とは、このような他者との距離感・依存の適切さを言います。
支配する側・される側ともに、他者との距離感に問題があります。
支配する側は、他者の領域に踏み込んでしまう特徴があります。される側の人は、自分の軸がないため簡単に他者に入り込まれてしまう隙があるのです。
このような愛着にもとづく他者との距離感は、幼少期の親子関係において形成されます。人間関係がうまくいかない人は、自分の過去の経験や親子関係を思い出してみるのがおすすめです。
支配・被支配から脱するために仏教を学ぶ!
ここまでは、心理学的な観点から支配・被支配の関係について述べてきました。心理学は心の問題の分析・説明においてとても役に立つ学問です。
※以下の記事で、心理学の役割を書いています。
一方でどのように解決するか、においては、仏教の考え方が有効です。仏教は心の世界を説くものであり、今回の支配・被支配の関係から脱する方法も教えてくれます。
心理学の捉え方とはやや異なる部分もあるため、これまでの内容を踏まえつつ、少し頭を柔軟にしていただければと思います。
仏教における因果の道理・自覚
仏教において、最も重要な考え方は”因果の道理”と言われています。”因果関係”という言葉は、一般的にも使われますが、仏教の因果の道理とは異なる点があります。
一般的な因果関係は、「XならばYである」が成り立つことを言います。心理学など科学の分野では、原因のXや結果のYは客観的に捉えられるものでなければなりません。
たとえば、先ほどの上司と部下の例であれば、振り回されている部下Cさんが苦しんでいる原因は、感情的にCさんを振り回した課長Aさんの行動であると考えます。
しかし仏教の因果の道理はこのようには考えません。仏教における因果は、その人が被る結果の原因は、全てその人の中にあると言う考え方をします。
つまり自分の外にあるものに原因を一切求めません。仏教における「XならばYである」のXとYはすべて自分の心や行動のみを指します。
上司と部下の例で言えば、部下のCさんが上司に振り回された結果の原因は、Cさん自身にあります。つまり、Cさんが支配的な人に振り回されやすい心を持っていること、に原因があると考えるのです。
この考え方の良い点は何でしょうか?
自分にだけ原因を求めるので、自分が気づけば原因を変化させることができる点です。
上司と部下の例では、自分の外に原因を求めると、上司が変わってくれない限り状況は改善しません。しかし、上司に対して話をしたところで、そう簡単に変わってくれる見込みはまずないでしょう。
自分が支配されやすいと知っていれば、上司の感情に巻き込まれて冷静な判断ができなくなっていることに気づくのではないでしょうか?
感情的になっている上司には何を言っても無駄かもしれませんが、冷静に判断できる状況になるまで待てば、意外と論理的な話ができるかもしれません。
上司は何も変わっていなくても、自分の心構えが変わるだけで、上司の影響を受けずに平穏に暮らすこともできるようになります。
注意すべき点として、自分に原因があると言う考え方は、自分を責めることとイコールではありません。
自分を責める考え方は、自分だけが悪いと捉えるものですが、実際には自分にも相手にも原因があります。自覚できた人だけが、苦しみから抜け出す糸口が見つけられると言う考え方です。
仏教では、この”自覚”という考え方も重要です。自分が苦しみの原因を作り出していることに自覚することで、苦しみから救われることができます。
正しく自覚する上では、今回紹介したような心理学の知識は役立つものと考えています。
他者に対しては、慈悲の心
では他者に対してはどのように接すれば良いのでしょうか?
仏教では自分以外の全てを”縁”と捉えます。縁は自分に対して良くも悪くも影響するものであり、自覚のきっかけを作ってくれる有り難いものです。
他者や周りのものに対して、感謝の心・慈悲の心を持つことが重要であると仏教は説きます。それが大事な理由は、この世界全体が慈悲の心が働くように作られているからだ、と考えています。
「情けは人の為ならず」などの言葉がありますが、誰かを助けることはめぐりめぐって自分に返ってきます。良い行いや良い心は、物事を好転させるものなのです。
今回の支配・被支配の関係においても、慈悲の心で接するとうまく進むでしょう。
これまで述べたように、支配する側も苦しみを抱えています。明確な悪意が向けられているのでなければ、少しでも支配する側の人も、支配・被支配の関係から抜け出せるように接すると良いでしょう。
支配される側の人が、支配される側を変えることは難しいですが、支配する側も苦しんでいることを知ることから始まります。こちらの見方が変わるだけでも、関係は改善する可能性はあります。
ただしDVなど身の危険がある場合には、離れることが最善です。悪意を向けてくる悪縁からは離れるべきだ、と仏教でも説いています。
まとめ
今回は人間関係の苦しみについて、支配・被支配の関係から説明してきました。そして心理学の観点から分析し、仏教の教えにもとづいて解決に向けた糸口をまとめました。
人間関係の問題では、それぞれの心の中で何が起きているか、まずは冷静に分析することが重要です。自分でできない場合には、誰かに相談して聴いてもらうだけでも整理できることがあります。
そして状況が整理できたら、自分を苦しめている原因を自分の心の中から探しましょう。もとをたどっていけば、親子関係・家族関係に行きつくことが多いです。
仏教で言う自覚によって、解決への道のりが始まります。自分の苦しみを解決していくことこそ、仏教における精進の道と言えます。
抱えている苦しみに気づき、自分の考え方を変えていくことで、確実に人生は楽になっていきます。
今後このブログでは、苦しみの原因と解決の道筋について、続けて記事を書いていこうと思います。
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